体外受精の記録

2015年(36歳)

10月 体外受精IVF)セミナーに参加後、同意書記入。会社に長期休養を申し出、自己都合休職(12月~2月)を取らせてもらう。

11月 採卵に向けて自己注射等開始。

12月4日 採卵1回目。6個採卵、体外受精IVF)→4個受精→1個(4AA)胚盤胞まで成長、凍結。

2016年(37歳)

1月 移植に向けて点鼻薬・貼り薬・膣剤開始。

2月15日 移植1回目。

2月26日 判定日、妊娠反応なし。

3月 仕事に復帰予定だったが、心身のバランスを崩す。心療内科へ。うつ病の診断を受け、6か月病休に入る。

4月 採卵に向けて自己注射等開始。

5月14日 採卵2回目。6個採卵、5個顕微授精(ICSI)→5個受精→3個(4AB,4BA,3BC)胚盤胞まで成長、凍結。

7月 移植に向けて点鼻薬・貼り薬・膣剤開始。

8月3日 移植2回目(4BA胚)。

8月15日 判定日、妊娠反応なし。

9月 移植に向けて貼り薬・膣剤開始。

10月 復職。

10月11日 移植3回目(4AB胚)。

10月21日 判定日、妊娠反応あり。

10月31日 胎嚢確認。

11月7日 心拍確認。

11月21日 予定日決定、母子手帳受け取り。

12月13日 不妊治療の病院を卒業。

12月20日 産科初受診。

 

治療中体調を崩すことはなかったが、とにかく精神的につらかった。高度生殖医療を受けるととにかくお金がかかる。しかもそれが妊娠という結果を必ずしももたらすわけではない。そこまでしてまで子どもがほしいのか?と何度も考えた。でも、お金のことは気にしなくていいから、頑張れるところまで頑張ろうという夫のはげましもあり、会社は休ませてもらったが治療を続けた。

一度目の妊娠判定時は、胚盤胞がひとつしかできなかったこともあり、「これがだめだったらまたイチからやり直しか・・・でもグレードもいいし、きっと妊娠できるはず!」と後から振り返ってみるとかなり妊娠を期待していた。結果、かすりもしていないことがわかり、かつ、主治医から次回採卵後は顕微授精を勧められた。採卵数は問題ないが、胚盤胞になる確率の低さが主治医は気になったそうだ。夫の精子の状態は悪くなく、顕微授精までは考えていなかったので、そこまで私の妊孕力はないのか、と最高に落ち込みワンワン泣いた。すべてが悪い方にしか考えられなかった。仕事復帰して気を紛らわせよう、と思って準備もしていたのに、ついに心身ともに限界を迎えた。

大企業の経理職という職業柄、3か月に一度繁忙期を迎え、その時期は治療どころではないなと治療当初から思っていた。だがこのままどんどん年を取り、治療もままならず、妊娠の可能性を自分でどんどん狭めていくのか・・・と思うとたまらない気持ちになった。心身の限界を迎えたのは、女性性の叫びだったのかもしれない。あるいはもっと柔軟に仕事を進めたり適当にさぼったりすることができる人間であればよかったのだが、責任を持って仕事をすることが身上なので、あまり大っぴらには言えない事情で頻繁に休んで(しかも時には突発的に)周囲に迷惑や負担をかけることが耐えられなかった。

ありがたいことに病休に入り、なにも考えずに体調を整え治療を継続することができた。この時落ち着いた状態で採卵できたことが、後々のいい結果に結びついたと思えてしかたないので、いろんなひとに迷惑と心配をかけたが、休んで本当によかったと心から思う。

復職前に産業医面談があった。大阪まで行かなければいけないうえに、初めて会う産業医がどんなひとであるかわからなかった(前にひどい心療内科医にかかったことがありトラウマ)ので、面談前は本当に憂鬱だった。しかし面談してくださった先生がほんっとーうにいい先生だった。男性医師だったため、不妊治療のことを話すのはためらいがあったが、とんちんかんな会話にもならず、かつ、上司や同僚から何の気なしにかけられた言葉があなたにはとてつもないダメージで、仕事にいけなくなったのもそれが原因のひとつでしょう、とはっきり言ってくれた。友達にはなかなか理解してもらえなかった醜い感情を受け止めてもらえたことがどれだけありがたかったか。私の心が醜くて歪んでいるからなおさら子どもはやってきてくれないんじゃないかと思って、と吐露したら「そんなことはありません」とにっこりきっぱり言ってくださった。病休前にこの先生と話ができていればよかったな、そうすればこんなにこじらせることはなかったかもと思った。産業医面談なんて今後あまり受けたくはないけど、復職前にいい先生に出会えてよかった。

3度目の妊娠判定時はまったく期待していなかった。復職し、職場異動も打診されていたので、仕事をボチボチやりながら、治療を続けよう、またしんどくなったら休めばいいや、くらいの心境に達していた。「あきらめかけていたけど妊娠した」「治療を休んだら妊娠した」とかよく言うけどぜってー信じねえからなと思っていたが、それに近いことが自分にも起きてしまいこっぱずかしかった。周囲に「思いつめたり考えすぎたりすると子どもは来てくれないよ」と何回も言われてすごく嫌で、「考えたくないけど考えちまうんだよばか!」と思っていたのだ。

とにかく私が妊娠できたのはただただ運がよかったとしか思えない。顕微授精までしておいて言うのもなんだが、いくら医療の力を借りても妊娠しないときはしないというのを思い知った。最後は神のみぞ知る領域なのだ。だから現在不妊に悩み苦しんでいるひとに言えることがあるとすれば、「妊娠しないのはあなたの努力が足らないせいじゃないよ。妊娠できたひとはたまたまそのとき運がついてただけです。ただの奇跡なのです。努力でどうにかなる世界ではないのです。周りはいろいろ言うかもしれないけれど気にしないで。あなたがやってみようと思うことだけやってください、そして治療は淡々と受けていってください」ということだけだ。

妊娠経過はとても順調だった。恐れていたつわりもほとんどなかった。おなかがすくとちょっと気持ち悪い、歯磨きのとき時々えずくくらいで済んだ。仕事から帰宅後、異常に眠かったがこれは普段からなのでつわり症状ではないかもしれない。体重の増減もあまりなく、5か月を過ぎたころに職場の同僚に妊娠報告をした際「え?どこに赤ちゃんが入っているんですか?」と言われるくらい見た目の変化がほとんどなかった。年度末の超繁忙期も家族と職場の同僚に最大限に支えてもらい、何とか乗り越えて5月から産休に入り、現在に至っている。